山登りに行った時の話。友人と2人で行った、その時に感じたことを今日は書こうと思う。
山登りの魅力は、たくさんあるけれど、一つは、「道中にゆっくりたくさんお話ができること」だと思う。
ふと思う。言葉にすることも大切で必要なことだが、あえて感覚や直感をそのまま大事に取っておきたい時もある。
それが自分で大事にできているなって思った、友人からの一言があった。
「なんでも思いつきやん!」「適当やな!」「考えなしに喋ってるなら、もう真面目に突っ込まんとくわ!」(笑)
このニュアンスを伝えるのはちょっと難しいんだけど、素直にその時の気持ちを友人に話せていた証拠なんだと思う。「こう話そう」とかではなく。
「今度はどの山に登ろうかな」と言った時には、「いつ」「誰と」などの具体的な質問をされると、時間や休みの都合で、直近で登ることは難しいなと気付かされる。で、そのことをそのまま口に出し「やっぱ無理だわ」と潔く登山を諦める姿を見て、「え・・・」と戸惑わせてしまう。
下山途中で、「山頂の景色を思い出したら、もう一回(折り返して)登りたくなるね」なんて言うと、実際は冗談なんだけど、気分的には本当にそう思っているわけで、でも友人は「え・・・」と戸惑う。
ボケかツッコミかで言うと、普段は完全に「ツッコミ」の友人だけど、今回はなんだか、ツッコミに疲れて、途中からスルーされていた。笑
ツッコミをしても、私が斜め上の方向にスルーしてボケ続けるから・・。
大変ご迷惑をかけたなあと思っている次第である。
そういうわけで、後半の、下山の道のりでは、もうほとんどツッコミをしてもらえず、「まあいいんちゃうん?」みたいな、諦めがちな言葉を返してもらうか、スルーされるかっていう感じになった。
いつも4人メンバーで遊ぶことの多い、仲の良い友人ですが、面白い関係性の一面が発見できたなあと、ちょっぴり嬉しくなった次第です。友人にはもしかしたら苦労をかけたかもしれないけど。
そんなわけで、私は普段から、本当に何も考えずに発言していることがあるんだなあと友人に気付かされた。感覚で生きているのである。
特に山は、自然は、感覚と相性が良いのだろう。するする思いが出てくる。偏った思考に邪魔されず。ありのままに。
だから山って清々しいのだろう。デトックスデトックス。凝り固まった思考をリセットできる。
一人の時や、黙々と何かをする時には、いろいろなことを考えることが多いので、今回の山も、登りながらいろいろ考えるんだろうなと思っていた。しかし、ほんっとうに、頭の中は空っぽだった。すごく無になれたのである。これぞ感覚頼り!
そんなこんなで、大事にしたいなあと先週考えていた「感覚」、大事にする時間を過ごすことができた!そしてそれに気づけたことが嬉しい!
友人よありがとう。
これからも、ちょくちょく、適当に、曖昧なまま、生きていきます。