ほのぼの日記

【エッセイ】写真撮影の時の感情と、「こだわらない」ことへの「こだわり」

カメラは私の趣味の一つ。

そして、写真を撮ることが好きな私の、ちょっとした自分の中のこだわり。

まず一つは、「先に目で見て味わうこと」!

例えば景色。初めて見る景色に感動するのって、まずは見た瞬間だ。「わあ〜〜〜〜!!!」って。
SNSとかTVで先に知っている旅先だと特に、「この後見る景色」を少し知っているから、最初からカメラを構えてしまうことがある。それではもったいないなあって。最初の1秒を「目で見る」という機会は一度きりだから。

「最初の1秒」を五感で味わう。

きっとカメラの仕事をするには向いてないと思う(いい瞬間は結局肌で感じたい欲が高すぎるため、シャッターチャンスを逃す可能性)

もう一つは、「神社では先にお参り」。

一つ目と同じ考えだが、着いてすぐに鳥居の写真を撮らない!
普段は適当に生きてるのに、ここぞとばかりに礼儀作法・・。

御朱印いただくのだって、本当はお参りした後でしょ?(混雑具合とか、そうはいかないこともあり、その場の状況にもよる)

一旦全てのお参りを済ませた後、写真におさめさせていただく。

だって、カメラをのぞいていたら、「いい写真を撮りたい欲」が発動しちゃって、気持ちを向けるところがおかしくなっちゃうじゃない。

写真を撮りに来たのではない、お参りに来たのだ。

こんなことを言っているが、別に誰に強制しようでもない。私がちょっと心がけているだけ。今ここで味わえる風景や気持ち、匂い、風・・・それは今しか体験できないことなのだから。

それでも写真を撮る意味。それは、「誰かに伝えたい景色」な場合もあるし、「感じたことを後で思い出すため」な場合もある。

何度も繰り返すが、強制するつもりはない。
「おすすめするよ」くらいの気持ちはある。

最後に、「しっかり諦めること」!

これめっちゃ大事。
いい写真を撮ろうとすると、こっちから撮ってあっちから撮って・・・時間がいくらあっても足りない。
それが目的ならいいんだよ、それが目的なら。

けど、今一緒に過ごす友だちとの時間、大事なんだよ・・・。
カメラと過ごしてるわけじゃないのよ・・とか思ったりすることがある(何度もいいますが、自分に思ってるだけで、それをしてる友だちがいたら、それはそれで楽しく過ごせちゃう)

ランチの写真は、撮りたいなって思った時、ほんの1枚だけ。もうただの記録用。誰に見せるわけでもない、自分が後で見返して幸せな気持ちを思い出せるなら、それで100点満点なのだ。

上手く撮れなくても、しっかりと諦める!!!

まあそんなこんなで、こだわり切らずに撮影することが多く、カメラの腕は一向に上がりません。(笑)
でもこれが私の撮影スタイル(ドヤ)

一方で、最近は、人のために撮るという機会ができて。何かにこだわって撮る。これもとても楽しいと知った。
自分が味わうというよりも、しっかり伝えていく写真。同じ「撮影」でも、違う活動だなあ〜と思う。


あなたが大切にしているような感覚って、ありますか?

関西に住む30歳の会社員です!がしかし、会社員では物足りず、そろそろ自分のお店を持ちたいと思うようになり・・・(2023年現在!)人生は一度きり!今日という日は、だれかがなんとしてでも生きたかった明日。1日1日大切に生きたい。そして自分自身を愛して、まわりの人たちを愛して・・・その愛が広がって、世界中が幸せいっぱいになるねんで〜!!

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