先日、とある知り合いに褒められた。お母さん世代の知り合い。
「会社などの組織に属し続けるのは、ある意味レールに乗ったまま行けば良いわけで、見方によっては楽だけど、そこをあえて離れて自分の好きなことに正直に生きようとしているのが良い」(意訳)
そう言ってもらえた。
私自身もそう思っている節があり、それを他者から言ってもらえるのは嬉しかった。
ただ、最近悩んでいることがあって。
「自分の好きなこと」ってなんだろう?
「自分のやりたいこと」ってなんだろう?
仕事を辞めて、向き合う時間を作ってから、ずっと考えているが、どうもこれがよくわからない。
「絶対に人生をかけてやり遂げてやるんだ!!!」みたいなことが、今はない、今は。
やりたいことがないわけではない。世の中の子どもたちがスクスクと成長すること、大人も気を抜ける場所があること、そういう世界になるように何か貢献したいとは思っている。
でも、じゃあそれができなかったら私はどうしようもなく悔しいのか、と言われるとそうでもない。(繰り返すが、あくまでも、「今のところは」そう思っている、というだけ。)
ん〜そんなふうに呑気でいられるのは、本当に幸せなことだし、世の中のあらゆる問題を見てみぬふりしているハッピー野郎なのかもしれない。
そう思いながら、日々が過ぎていく。
でも、何にもやる気がないわけでもない。子どもと関わる機会があれば、情熱は戻ってくるし、同じような考えを持つ人の話を聞くと、心の中で何かがうごめく。なんだろな。
しばらくはそんな自分を見つめるだけ、見つめるだけでも良いのかななんて甘えさせてもらっている。えらいね、と褒めてもらったし。
一つだけ、答えに近づいた気づきがあって。それは、
「自分がやっていて心地よいなと思う行動」に着目してみること。
何を成し遂げたいか、と考えると大きな話になるけど、私って何やってる時に「気持ちいい〜」「あ〜これが私」「これ好きだな〜」ってなるかってのを観察する。
今の私が心地よく感じる行動は
・一定のリズムで進む(走る、歩く、ミシンをダダダ〜っとかける)
・祖母と話す、昔話を聞く
・自然の中でぼーっとする
・軽く体を動かす、ヨガをする
・子どもと思いきり遊ぶ
・子どもの運動発達の話をする、相談にのる
こんな感じかな。
せかせかせず、体や心の感覚を大切にしながら、人と関わり、これまで経験してきたことや勉強してきたことを活かし、時には伝えていく・・・
まとめると、こんなところだろうか。
結局、意味のあることなんて何にもなくて、人生はただちょっと遊びに来ているようなもので、できることなんて限られているわけで。
意味のあることを求めすぎると、しんどくなってしまう世の中だと思う。もうすでに、意味のあることをしっかりやっている、というのが私たちなので。これからは、意味のないことをする、選ぶことも、人生の彩りとして、バランスとして、やっていけたらいいんじゃないかなって思ったりする。
こんなふうに考えられるのは、平和な国で、自由な環境で、好きに生きていけるからこその贅沢なんだと思う。
甘ったれてるかもしれへんけど、思うままに、感覚を大事に、自分の好きを大事に、生きてみよう。